衝撃的なキャンペーン
何ごとによらず、一旦定着したイメージをくつがえすのは、至難のわざです。
まして悪い風評においてはなおさらであり、その一掃には、100年をも辞さぬ持久心と工夫がいります。
2代目コロナの失敗によって『コロナは弱い』イメージがはびこり、それはやがて独り歩きを始めて・トヨタ車全体のイメージダウンにつながるおそれが出てきた。
このまま小型車の部門で敗退しては、トヨタ自動車の明日はない。
まきかえし作戦は二つ。
ひとつは弱い事実を認めてそれをことごとく改良すること、二つは改良した姿を、持久的に、あるいは奇想天外な方法で世間に訴えることでした。
漢書にも『渕に臨みて魚を羨むは、退きて網を結ぶに如かず』とある。
魚を欲しいとき川をのぞいて見ているだけではだめ、家に戻って魚を捕える網を編んだ方がよい、という諺で准る。
まずは懸命な改良作業が開始された。
足まわり、車体のねじれ、スプリング、およそ弱いと指摘された個所の改良と補強が続く。
36年3月にはR型エンジン(1500㏄)に積みかえたコロナ1500・RT20B型を発売。
同年10月には自家用向けにデラックスRT20D型を戦列に加える。
さらに翌37年3月、マイナーチェンジを実施して品質、性能ともに不安のなニューコロナ1500へと生まれかわる。
ここまでしても、しかし落ちこんだ販売は回復しなかった。
『悪路に強丸ハイウェイに美しい』と訴えるキャッチフレーズは、繰り返し打ってもむなしく消えた。
この間にもブルーバードの独走は続く・・・・・。
トヨタ陣営に焦躁感が走る。
徹底的な原因追求が始まる。
不振の原因の輪郭がしだいに見えてきた。
やはり『コロナは弱く、耐久性に乏しい』という先入観が消費者の間に深く浸透し『弱いコロナ』のイメージだけが定着していたのである。
この事態を打開するには何が有効か。
『コロナを思い切っていじめてみよう』。
ここにトーチャーキャンペーン作戦案が浮上します。
トーチャーとは拷問にかける、苦しめるなどの意味である。
つまりコロナを徹底的に酷使するCFをテレビで流し、『コロナはこんなに強い』印象を植えつけようという、手荒い作戦である。
撮影場所は浅間高原。
高速で疾走するコロナ。
アッと息を呑む瞬問、2メートルの高さにジャンプ。
およそ25メートルも空中を飛ぶ。
着地したと思うと、なにごともなかったように走行を続ける。
トリック撮影ではない。
迫力満点のこのCFは37年4月に放映され、大きな効果をあげた。
この撮影には余談がある。
撮影日が迫って予定していたスタントマンが出演をことわってきた。
放映日はすでに決まっていて延期はできない。
どうしよう。
このときトヨタ自販宣伝課の三浦清彦が運転を買って出た。
このとき三浦を駆り立てたもの、それはコロナを育てる決意と使命感のみではなかったろうか。
なにしろ安全ベルトのない時代である。
サラシで体を座席にしばりつけた。
衝撃で火災が起きたとき、サラシを切るハサミもドアポケットに入れる。
着地点には消火係を配置する。
決死のジャンプはこうしてカメラにおさめられた。
危険は目に見えている。
三浦が運転を買って出たとき、上司はいったんは押しとどめたという。
だが三浦の決意は堅かった。
ひと口に愛社精神と言う。
三浦の場合、ひとつ間違えばあたら若い命を落とすことになる。
それはもはや精神論を超えていた。
それからの1年、トーチャーキャンペーンが続いた。
コロナに対する一般の評価は『弱いコロナ』から『強いコロナ』へ、確実に変わっていった。
同時に茶の間で話題になるコロナというおまけもついた。
コロナのイメージアップ作戦はみごとに成功したのです。
全国の販売店は広告宣伝の援護射撃をうけながら、いっせいに立ち上がりました。
販売台数が伸びはじめる。
月販4000台から5000台へ・・・・・。
セールスマンの顔に生色がよみがえり、士気が目に見えて高まってゆく。
若い宣伝課員三浦清彦の決死のジャンプが、コロナに生命を吹きこんだのです。